跳转到内容

坂本雄一

维基百科,自由的百科全书
坂本雄一
坂本 雄一/さかもと ゆういち
陆将(中将)
日本防卫省官方肖像照
罗马拼音Sakamoto Yuichi
性别
出生(1967-09-01)1967年9月1日
 日本北海道上川支厅旭川市
逝世2023年4月6日(2023岁—04—06)(55岁)
 日本冲绳县宫古岛市伊良部岛外海
语言日语
效命 日本
军种 陆上自卫队
军衔陆军中将

坂本雄一(日语:坂本 雄一さかもと ゆういち Sakamoto Yūichi,1967年9月1日—2023年4月6日)是日本陆上自卫队的自卫官。曾经以陆将(陆军中将)军衔担任日本陆上自卫队第8师团长第39任师团长职务[1],仅任职7天便因遭遇直升机坠毁事故殉职[2]

经历

[编辑]

坂本雄一1967年出生于北海道旭川市[3]。1991年3月防卫大学校(35期)毕业后,正式加入陆上自卫队[4]。先后在第9普通科联队(步兵团)[注 1]、第3普通科联队[注 2]和第28普通科联队服役。2013年12月,坂本雄一升任第3联队联队长。

2017年3月坂本雄一晋升为陆将补(少将),任自卫队中部方面队副幕僚长。2019年8月坂本转任陆上总队司令部运用部长(作战部长),2021年3月调任陆上自卫队第12旅团旅团长,期间还在防务省担任了其他国防政策规划和部队作战相关职务[4]。2023年3月,坂本晋升为陆将(中将),并升任第8师团师团长。在上任次日举行的到任仪式上,他说,“在严峻的安全环境下,我们的战斗方式正在发生变化。我希望你们意识到变化和进化并尝试接受挑战。”[注 3]此外,在就任仪式的新闻发布会上,坂本表示“我要将第8师团打造成社会信任和喜爱的(部队)。”[注 4]对于“台湾有事日语台湾有事”对日本产生的影响,坂本表示“如果发生入侵,我们将在岛上部署军队,阻止侵略行为。”[6]

事故

[编辑]

2023年4月6日,坂本乘坐陆上自卫队的一架UH-60JA黑鹰直升机前往宫古岛视察。下午3点46分左右,从陆上自卫队宫古岛分部基地起飞,下午3点56分,在宫古岛附近飞行的飞机突然从雷达消失[7]。由于在周边海域发现了漂浮物和被认为是飞机一部分的油污,因此防卫省确定坂本的座机遭受了事故,并正在与日本海上保安厅一起搜寻飞机。和坂本一起失踪的还有师团参谋长在内的3名师团干部[8]、2名陆自飞行员、2名飞行整备员,共10人。4月21日,陆上自卫队确认遇难者之一身份为坂本雄一[2]

4月6日坂本搭乘直升机视察之路线图。右下方红点为宫古岛基地。

年表

[编辑]
  • 1991年(平成3年)
    • 3月:防卫大学校毕业(第35期)加入陆上自卫队(第72期干部候补生)[9]
    • 9月:入职第9普通科联队[10]
  • 1992年(平成4年)3月:晋升为3等陆尉(少尉)
  • 1995年(平成7年):转隶第3普通科联队[10]
  • 1998年(平成10年)3月:进修于陆上自卫队干部候补生学校[10]
  • 1999年(平成11年)8月:入读陆上自卫队干部候补生学校指挥幕僚课程[10]
  • 2001年(平成13年)8月:转隶第28普通科联队[10]
  • 2003年(平成15年)
    • 3月:就职于陆上自卫队研究本部[10]
    • 8月:兼任外务省(欧洲事务局兼防卫省防卫政策局)顾问[10]
  • 2005年(平成17年)
    • 3月:调任陆上幕僚监部调查课就职[10]
    • 7月:升任2等陆佐(中校
  • 2006年(平成18年)
    • 3月:调任陆上幕僚监部运用保障与情报部情报课就职[10]
    • 8月:转任陆上幕僚监部防卫课[10]
  • 2010年(平成22年)
  • 2011年(平成23年)
    • 7月:结束进修,返回陆上自卫队研究本部继续任职[10]
    • 12月:担任统合幕僚监部防卫计划部防卫课防卫组组长[10]
  • 2013年(平成25年)12月18日:升任第3普通科联队联队长[10]
  • 2015年(平成27年)8月4日:担任陆上幕僚监部监理部情报室长[10]
  • 2017年(平成29年)3月27日:晋升为陆将补(少将)、中部方面总监部幕僚副长[11]
  • 2019年(令和1年)8月23日:出任陆上总队司令部运用部长[12]
  • 2021年(令和3年)3月26日:就任陆上自卫队第12旅团旅团长[13]0
  • 2023年(令和5年)3月30日:晋升陆将(中将),任第8师团第39任师团长[14]
  • 2023年(令和5年)4月6日:2023年日本自卫队直升机坠海事故遇难殉职

注释

[编辑]
  1. ^ 联队(日语:连队)是日本陆军所创用之军队编制军事术语,约等同西方军制的团(Regiment)。
  2. ^ 2022年3月改编成的第3快速反应机动联队[5]
  3. ^ 日语原文:「厳しい安全保障環境のなかで戦い方そのものが変化している。変化や進化を意識して、挑戦することを心がけてほしい」
  4. ^ 日语原文:「地域に信頼され、愛される第8師団に育成していきたい」

参考文献

[编辑]
  1. ^ 第八师团长介绍 第8師団長の紹介. [2023-04-06]. (原始内容存档于2023-04-08) (日语). 
  2. ^ 2.0 2.1 【速報】ヘリ事故、前師団長の身元確認. 共同通信社. 2023-04-21 [2023-04-21]. (原始内容存档于2023-04-26) (日语). 
  3. ^ 坂本雄一の家族や出身地は?第8師団のトップの華々しい経歴や階級は⁉ (html). himawarikan.jp. [2023-04-10]. (原始内容存档于2023-04-07) (日语). 北海道旭川市出身だそうです。 
  4. ^ 4.0 4.1 陸自ヘリ消失 搭乗の第8師団長 坂本雄一陸将とは. [2023-04-08]. (原始内容存档于2023-04-08). 
  5. ^ 赖名伦. 日陸上自衛隊「第3即應機動連隊」成軍. 青年日报. 2022-03-19 [2023-04-20]. (原始内容存档于2023-04-24). 
  6. ^ 林昀萱. 日墜機師團長才上任8天 曾就「台灣有事」表態:將阻止侵略. 三立新闻网. 2023-04-11 [2023-04-11]. (原始内容存档于2023-04-11). 
  7. ^ 读卖新闻(読売新闻オンラインとは). 10人乗せ消息絶った陸自ヘリ、坂本雄一師団長ら幹部自衛官が8人…2分前に管制と交信 (html). www.yomiuri.co.jp. [2023-04-10]. (原始内容存档于2023-04-09) (日语). 陆自によると、同机は6日午后3时46分顷、上空から周囲の地形などを确认するため、宫古岛分屯基地を离陆。海岸线を北上するように池间岛方面に向かった。その后、南西に针路を変え、同56分顷、伊良部岛の北方海域でレーダーから消えた。陆自は、当初池间岛の东方海域としていた机影の消失地点を修正した。 
  8. ^ 陸自ヘリ事故、不明10人中3人は着任直後の幹部か 視察目的で飛行. 朝日新闻DIGITAL. 2023-04-07 [2023-04-07]. (原始内容存档于2023-04-08). 
  9. ^ 日本国自卫队データベース. 坂本雄一(さかもと・ゆういち)|第35期・陸上自衛隊 (html). 日本国自卫队データベース——高级干部名簿一覧. [2023-04-12]. (原始内容存档于2023-06-04) (日语). 坂本雄一は昭和42年9月生まれ、北海道旭川市出身の陆上自卫官。 防卫大学校第35期の卒业で干候72期、出身职种は普通科だ。 
  10. ^ 10.00 10.01 10.02 10.03 10.04 10.05 10.06 10.07 10.08 10.09 10.10 10.11 10.12 10.13 10.14 10.15 第8师団 8TH DIVISION. 鎮西機動師団 プロフェッショナルな隊員の育成 (html). www.mod.go.jp. [2023-04-12]. (原始内容存档于2023-04-08) (日语). 
  11. ^ 2017年3月27日付、防衛省発令(将補人事) (PDF). [2023年4月9日]. (原始内容存档 (PDF)于2023年4月7日). 
  12. ^ 2019年8月23日付、防衛省発令(将補人事) (PDF). [2023年4月9日]. (原始内容存档 (PDF)于2023年4月7日). 
  13. ^ 2021年3月26日付、防衛省発令(将補人事) (PDF). [2023年4月9日]. (原始内容存档 (PDF)于2023年2月21日). 
  14. ^ 2023年3月30日付、防衛省発令(将人事) (PDF). [2023年4月9日]. (原始内容存档 (PDF)于2023年3月31日).